第1回: コミサロフ喜美さん
コミサロフ喜美さんは、私が信頼を寄せるコーチの一人です。
コミサロフさんとの出会いは、コーチ・トゥエンティワンのトレーニングの場でした。
第一印象は、「あっ、歌手のAikoに似てる!」。
歯切れの良さ、論理の明快さ、共感性の高さ、そしてさすが大阪人、笑いのセンスに一瞬にして彼女のファンになってしまいました。
コミサロフさんは、大学卒業後は日本のメーカーで国際研修プログラムに関わり、その後レスリー大学(米国マサチューセッツ州)で異文化関係の修士号を取得、米国では日系国際教育機関の支店でマネジャーとして勤務されました。
現在は、東京外国語大学非常勤講師、また企業研修コンサルタント、コーチとして活躍中です。
また、1児の母でもあるワーキングマザーでもあります。
会うたび、いつも活き活きと輝いているコミサロフさんの、その原動力と異文化コミュニケーションへの思いを聞かせていただきました。
(プロフィールは対談公開時のものです。2008年1月現在。)
異文化の違いからでてくるコミュニケーションのすれ違いを
結び付けていきたい。
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猪 俣 |
今日は忙しいところありがとうございます。なんて改まってしまいますが、コミサロフさんと初めて会ったのはACT(アドバンスコーチトレーニング コーチ21主催)でしたよね。 |
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喜 美 |
そうそう。クラスでは何回か一緒でしたけど。 |
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猪 俣 |
確かフィードバックのスキルの練習の時に同じグループだったのを覚えています。そのときに、講師がコミサロフさんのことを、さすが研修講師なだけに話しなれていますね、とフィードバックしたのがとても印象的でした。 |
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喜 美 |
もう2年前ぐらい前になりますね。 |
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猪 俣 |
コーチングで学んだことは何に活かされていますか? |
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喜 美 |
一番大きいのは研修の仕事です。参加者の意見をひきだしたり、一人ひとりとの対話の場面で。どうやったら参加者自身に考えてもらうか・・・。質問のスキルとタイミングを考えることで質そのものが高くなりました。また、なかなかアイディアがでないとき、いい質問をなげるとそれが突破口になったりしています。 |
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猪 俣 |
研修講師の仕事のきっかけは何ですか? |
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喜 美 |
はじめから研修講師っていうんじゃなくて、異文化コミュニケーションのトレーニングをするところから研修の仕事に入った感じですね。文化の違いからでてくるコミュニケーションのすれ違いを結び付けていきたいというか、それを会社の中でやっていきたいというのが始まりでした。 |
海外といっても父親がいたところですから興味はありました。
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猪 俣 |
そんなふうに、海外に興味を持ったのはいつからだったんですか? 確か、イラクに滞在したことがあったと聞いていますが。それがきっかけですか? |
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喜 美 |
海外がらみっていうことだと、それより前かな。私が3歳から5歳のときに父親がニューヨークに駐在してて。父親からいろいろなものが送られてきたんです。ABCの積み木とか。それをみてわくわくした気持ちを覚えています。 |
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猪 俣 |
楽しそう! |
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喜 美 |
送られてきたもののなかに、絵本の切り抜きもあって。りんごのイラストに「Apple」って書いてあるところの下に父親が日本語で「りんご」と書いているんですね。それが英語に興味をもった最初かな。海外のかおりを感じましたね。印象深いのは絵本の中にあった七面鳥のイラスト。七面鳥なんて当時見たことないじゃないですか。これってなんだろう? の世界!(笑) そんなわけで、海外といっても父親がいたところですから興味はありました。 |
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猪 俣 |
その頃はどんな遊びが好きだったんですか? |
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喜 美 |
遊びというわけじゃないんですけど、空港に行って飛行機を見るのが好きでした。 |
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猪 俣 |
誰と? |
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喜 美 |
母親に連れられて。飛行機に乗って海外に行きたいなっていう憧れは、そのときがきっかけかもしれませんね。 |
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猪 俣 |
小さい頃の将来の夢は何だったんですか? |
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喜 美 |
小さい頃?小学校や幼稚園のときは学校の先生になりたかったかな。 |
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猪 俣 |
またどうして? |
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喜 美 |
テストで「まる」をつける憧れからかも!(笑) |
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猪 俣 |
それって結構ありますよね!(笑) |
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喜 美 |
海外や英語にとても興味があって、英語に初めてふれたのは小学校6年生の時。 |
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猪 俣 |
素晴らしいですね。そのときに自分ができることを見つけた・・・。 |
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喜 美 |
いろいろな人と話ができるようになりたいって思っていた時期でしたね。おしゃべりが好きだったし。(笑) |
自分で行くと決めたからにはあとで振り返って後悔したくない
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猪 俣 |
イラクにはいつ行ったんですか? |
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喜 美 |
中学2年生の時です。 |
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猪 俣 |
というと、その当時のイラクって・・・ |
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喜 美 |
そう、イランイラク戦争の真っ最中。急に父親の転勤が決まって。 |
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猪 俣 |
今度は家族みんな一緒に? |
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喜 美 |
ええ、行く行かないは、自分で決めていいよと父親には言われましたけどね。もしかしたら高校浪人しないといけなくなるかもしれないし。 |
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猪 俣 |
それで「行く」とコミサロフさん自身が決めたんですね。 |
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喜 美 |
ええ。世界を見てみたいと思ったんです。世界を見ることが出来る、そのチャンスが目の前にあるって思いました。 |
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猪 俣 |
お父さまの様子はいかがでしたか? |
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喜 美 |
やっぱりとても喜んでましたよ。 |
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猪 俣 |
不安はありませんでしたか? |
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喜 美 |
そうですね。ただ、自分で行くと決めたからにはあとで振り返って後悔したくないっていう気持ちがあって。 |
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猪 俣 |
中学2年生の時にそう思った・・・。 |
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喜 美 |
親には感謝しています。喜美が決めていいよ、って言ってくれて。 |
異文化に触れたことで、世界に橋をかける仕事がしたいという気持ちに。
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猪 俣 |
滞在期間はどれくらいだったんですか? |
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喜 美 |
1年半です。 |
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猪 俣 |
どうでしたか? その1年半は? |
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喜 美 |
すごく楽しかったです。 |
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猪 俣 |
例えば? |
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喜 美 |
全く新しい世界。気候も人も違うじゃないですか。日本にいたときには、イラクってどこですか?っていう感じ。全然違う感じ! |
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猪 俣 |
興味津々! どんなところが違うんですか? |
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喜 美 |
日本にいたら当たり前のことが当たり前でないですよね。例えば、日本では食べ物はどこでもいつでも手に入りますけど、イラクにいると今日買えたものが、今度いつ買えるかどうかわからない。 |
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猪 俣 |
とすると、食材をたくさん買っておくなどされていたんですか? |
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喜 美 |
ええ、母親はそうしてましたね。 |
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猪 俣 |
他にはどんなことが? |
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喜 美 |
ほかには・・・。ゆったりとした時間の流れとかかな。昼寝の時間とか。暑いので仕事ができないんですよ。(笑) こうした異文化に触れたことで、世界に橋をかける仕事がしたいという気持ちが少しずつ膨らんできたんだと思います。 |
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猪 俣 |
本当に貴重な体験でしたね。 |
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喜 美 |
今は自分に決めさせてくれた親に感謝しています。 |
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猪 俣 |
海外へはその後、どちらかに行かれたことは? |
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喜 美 |
その後はですね、大学生のときに一人でイギリスに行きました。 |
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猪 俣 |
一人で・・・というところに力がこもっていますね。 |
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喜 美 |
どうしても一人で行きたかったんですね。一人でやってみたいと。自分の力試しがしたかったのかな。 |
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猪 俣 |
その経験はいかがでしたか? |
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喜 美 |
それはいろんな国から生徒が集まってきて、視野がひろがりました。 |
翻訳も楽しかったけれど、
今、目の前にいる人を大切にしたい。
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猪 俣 |
そうして海外に興味や関心をもって・・・。とすると就職は外資ですか? |
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喜 美 |
いえいえ、日本企業ですよ。世界各国に生産拠点を持っている会社でした。そういう会社だったら英語を使うチャンスがあるかな、と思って。 |
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猪 俣 |
就職って、コミサロフさんにとってどんな意味がありましたか? |
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喜 美 |
嬉しかったですね。社宅に住んでいたんですが、自分の足で立ったっていう嬉しさがありました。給料入ってきて自分の仕事を自分でやれたっていう。 |
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猪 俣 |
お仕事はどんな内容のものだったんですか? |
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喜 美 |
技術翻訳の仕事です。 |
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猪 俣 |
というと? |
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喜 美 |
辞書を作ったり。また、海外からエンジニアが研修に日本に来るんですが、その研修のコーディネーターも。 |
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猪 俣 |
研修のコーディネーター? |
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喜 美 |
例えば、研修の日程やスケジュールをアレンジしたり、研修のときの通訳をしたり。そのときですね。考え方の違い、異文化コミュニケーションの違いがあると思ったのは。それぞれの橋渡しになりたいと思ったのも・・・。このときがきっかけですね。 |
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猪 俣 |
考え方や異文化コミュニケーションの違いは例えばどんな場面に・・・? |
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喜 美 |
例えば、日本だと何時から何時まで清掃するっていうのがありますよね。でも、彼らにしてみるとなんで掃除しないといけないの? とか。晩御飯の時にもっと自由がほしい、とか。なので、もっと日本の文化を知ってもらいたいなと思って、食堂じゃなくて工場のお昼を食ぺたらいかがですか? など提案したり。 |
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猪 俣 |
楽しそうですね。 |
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喜 美 |
ええ! 楽しかったですよ! それで異文化コミュニケーションをもっと勉強したい、文化の違いをなんとかすることをしていきたい、そんな気持ちが強くなっていったんです。 |
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猪 俣 |
それはどういうところでもっと勉強できるっていうのは、そのとき知っていたんですか? |
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喜 美 |
いえ、何も知らなくて。漠然とそういうことがやりたいとは思っていたんですけど。でも、そんなときにたまたま偶然入った古本屋で異文化コミュニケーションの本を見つけたんです。しかもそれを勉強できるところがアメリカにあると発見して! |
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猪 俣 |
すごい偶然ですね。ていうか、自分で必要な情報を引き寄せたっていう感じですね。会社でのお仕事は翻訳の仕事もしていたわけですが、そちらのほうは? |
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喜 美 |
翻訳ももちろん楽しかったですよ。でも、それよりもやっぱり目の前にいる人のほうが大切だなと思ったのかな。海外から研修受けにきた人たちに日本の文化知ってもらいたくて、休日に鎌倉を案内したりもしました。英語でコミュニケーションとるのがとにかく好きでしたし、楽しかったですね。 |
日本文化をアメリカの小学生に紹介する。
自分も役に立てるんだ・・・という思い。
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猪 俣 |
で、それからアメリカの大学へ? |
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喜 美 |
そうそう。 |
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猪 俣 |
よく決心されたというか。会社での仕事も順調だったわけじゃないですか。文化と文化の違いの橋渡し、それはその会社で実現できる可能性もあったんじゃないですか? |
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喜 美 |
それもあったかもしれないけど、いろいな企業でそういう仕事がしたいと思ったんですね。あと、そのときは25歳だったし、結婚する前にもう一度アメリカに行きたいって思いました。 |
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猪 俣 |
それでアメリカの大学院はいかがでしたか? |
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喜 美 |
いろんな友達がいて楽しかったですよ。でも、やっぱり言葉の壁はあって・・・。アメリカ人がぱらぱらと読める本が自分にはすごく時間かかったりして。 |
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猪 俣 |
自信がちょっとなくなる感じ? |
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喜 美 |
ええ、そういうのもありました。そんなときにボランティア活動の話がきたんです。それがとっても面白かった。 |
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猪 俣 |
へぇ、どんなボランティア? |
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喜 美 |
アメリカの小学生に日本文化を紹介するっていうボランティアだったんです。かしこまらないで、普段の日本の生活を紹介しようというもの。折り紙とか。子どもたちが、それは目をきらきらと輝かせて一生懸命知ろうとしてくれて、すごく喜んでくれて。 |
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猪 俣 |
嬉しいですね! その経験って今にどんなふうに活きていますか? |
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喜 美 |
ああ、そうですね。思えば、今やっている研修講師、あとプレゼンテーションスキルを磨くきっかけになったと思いますね。人前で話すこと、しかも子どもにもわかるように話すんですから、あのときの経験、すごく楽しかったですね。そのまま異文化コミュニケーションでしたし。 |
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猪 俣 |
アメリカの大学院を卒業して、そのままアメリカで仕事をして、どうでした? |
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喜 美 |
仕事をすればするほど、人と人をつなげたいな、ていう思いが強くなりました。日本人同士でも異文化コミュニケーションの部分ってあるんですよね。育った環境の違いからだとか自然にでてくるじゃないですか。海外と日本というような大きな枠と、そして同じ日本人同士というミクロの異文化コミュニケーションっていうことを、さらに考えるようになりましたね。 |
今やっていることが正しいのかどうかはわからないけど、それを一生懸命やっていれば道は開ける。自分で選んだんだから。
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猪 俣 |
とすると、これからどんな役割を果たしていきたいと思いますか? |
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喜 美 |
お互いの「当たり前」同士がぶつかる誤解ってあると思うんですよね。それが乗り越えられるようにしたいです。お互いの「当たり前」を引き出して、その考え方の違いを扱いながら、上手くいくための「視点」を情報提供していきたいですね。日本の会社の中でも、部署間同士の考え方の違いってありますから。それをスムーズにしていきたいです。 |
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猪 俣 |
今までのご自身のキャリアを振り返った満足度って、どれぐらいなんでしょう? |
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喜 美 |
異文化コミュニケーションって日本の会社のこともよくわかっていないとできないんです。だから、そのときそのときが一生懸命だったかな。そのときは回り道だったかなと思いますけど、今思えば回り道ではなかったなと。自分が何になるかというのはわからなくてすごく迷っていても、何を選んでも、それを一生懸命やっていれば必ず道はひらける。今やっていることが正しいのかどうかはわからないけど、それを一生懸命やっていれば道は開ける、そう思います。 |
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猪 俣 |
そのときそのときの自分を、ありのままに受け入れているっていうことですね。 |
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喜 美 |
ええ、自分がこれをしようと思って決めたことを、後で後悔したくないっていうのがあるかな。そのときはこれが一番いいと思って選んだ。いつも自分が決めた・・・という意識はあります。 |
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猪 俣 |
そういうところが、コミサロフさんの魅力の1つですね。 |
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喜 美 |
自分で選んで、責任をもってやってきているっていう感じ。親が自分の意志を尊重してくれていましたね。だから自分で決めることができて、責任をとって、そして自分で決めたからいいようにしようっていう。 |
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猪 俣 |
それはコミサロフさんのコーチとしてのスタンスにも影響している? |
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喜 美 |
ええ、コーチングも同じですよね。だから、自分で決めたという気持ちをクライアントに持ってもらうという。答えを自分で見つける。決めたことがなんであれ、それを自分で決めたというのがコーチングのいいところかな、と思います。 |
やっぱり人と人をつなげていきたい。
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猪 俣 |
これから何をしていきたいですか? |
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喜 美 |
やっぱり人と人をつなげていきたいです。人と人とのコミュニケーションをスムーズにしていきたい。それが研修であれ、コーチングであれ、そこを軸にしていきたいですね。海外の文化と日本の文化、また企業内の部署間でもそうですし。 |
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猪 俣 |
小さい頃の海外への憧れが・・・、まさに今につながっていますね。 |
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喜 美 |
そうですね。絵本の切抜きね!(笑) あの頃は本当にそれがとても鮮明だった! そのときから海外は知らない遠い国ではなくて、私にとっては知っている人が生活している国だったんです。こうしてみると、子どものころって大事ですね。(笑) 遠い国に全然違う言葉を話しているところがあって、そういうところに好奇心が芽生えたんだと思います。だから、私にとって海外=恐いではなくて、海外=面白そう、行ってみたい、だったんだなと。それが最初にあったから、よくわからなくて恐いじゃなくて、英語って面白そうって。間違っちゃいけないではなくて。こんなおもしろい言葉ってあるんだなっていう思いがあったんですね。 |
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猪 俣 |
コミサロフさんの原点、ABCの積み木、そして絵本の切り抜きから始まった海外への憧れ。また、たくさんある選択肢の中から、自分が答えを選び、それに責任を持ち、そして自分が選んだんだからいいようにしていこうという言葉、とても心に響きました。 |
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喜 美 |
こちらのほうこそありがとうございました。 |
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猪俣・ |
(笑笑!) |



